人の五感と記憶は密接に繋がっている、なんてよく聞くけど、
1番手軽な記録装置としては音楽を推したい。
そんな前置きどうでもいいか。
何が言いたいかというと、好きな音楽を聴くと昔のことを思い出す。
こんなことしていたなぁ、あんな時だったなぁと付随する記憶が意識せずとも勝手に引きずり出される。それで悲しくなることもあれば、甘酸っぱい気持ちになったり、嬉しくなったり、元気を貰ったり。そんな物語を孕んだ記憶を音と歌詞が勝手に運んできてくれる。
昔から流行りの曲にはあまり魅力を感じなかったけど、
有名じゃなくてもメッセージ性の強い音楽に惹かれがちだったような気がする。
まだ見ぬ自分自身がワクワクできる音楽と出会うことがなによりも楽しかった。
僕にとって、それは「宝探し」と同義だった。
でも、当時は周囲に理解してくれる人はなかなかにいなかったように思う。
思春期には自分の好きな曲を
「また知らない曲。変えていい?」
悪気はなかったのかもしれないが仲の良い親友に言われ、落ち込んだことを今でも思い出す。
思春期だった当時は、音楽性がアイデンティティだったのだろう。
この悲しさは例えようもない。
自分自身を否定されたような気持ちになった。
気付けば大学生になり、マイナーな曲で盛り下がらないように流行りの曲をよく歌詞も分からないまま歌い、気付けば社会人になり、他人を乗せる時に車内で掛ける音楽はおススメのプレイリスト、ラジオ、テレビとなり、スナックなどのお店でも年上相手に時代を一世風靡した、対して好きでもない曲を無理やり歌う。
大好きな音楽とそんな風に距離を置くことが多くなった。
そんな自分を誤魔化す生き方が知らないうちに骨の髄まで染み付いたようで
自分のことが心底嫌になった。
たかが音楽で大袈裟なと自分でも思うが、言い回しを変えたり、
文言を変えたり、推敲を重ねたがなぜかこれがしっくりくるのだから、
そういうことなんだろうね。
音楽が人を救いはすれども、傷付けることはないと信じている。
だから、個人的な趣味嗜好に寄った紹介になってはしまうが、僕に響いた楽曲、アーティストをもっと広めたいと思ったのです。実際に原動力を貰った僕が。